コラム:住職より|24時間お墓参りができるお寺 祥雲寺

コラム:住職より

寺と街、仏と人、伝統と先進——あらゆる壁を超えて

瑞鳳山・祥雲寺
三十二世大観応人和尚
西澤応人

24時間お墓参りフリーにした経緯

安全上の問題から、夕方早々に山門を閉めるお寺が多い中、私どもの山門は常時あいています。少し前に境内を建て替えた際、山門につながる塀をすべて取り去ってしまいましたので、実際には山門の開け閉めに関係なく、どこからでも自由に出入りできる状態です。

建築家には「山門だけ独立しているのはおかしいし、無防備だ」と言われましたが、もし檀家さんが「ちょっとお参りしていこう」と思われた時に山門がしまっていたら、せっかくの供養の気持ちを遮ってしまうことになります。それならば山門を閉める代わりに明るくライトアップし(仏様がゆっくり眠れる程度の明るさです)、ついでに時間の壁も取り去って、24時間お墓参りフリーにしようと決めました。

昔から「お墓は暗くなってから行くもんじゃない!」というのが一般的な常識でした。ですがそれは街中が暗く、物騒で、墓荒らしが頻出した時代のことです。今は夜おそくまで街中が明るく、人も眠らない、池袋のような都会になれば夜も昼もありません。山門はあっても塀はない、夜中も明るく、賽銭箱もない。泥棒や痴漢にとって、これほど仕事がしにくい寺など、ほかにないと思います。

お墓は生きている人のためにあります

お墓というと、亡くなった人のための場所と考えがちですが、本当は生きている人のためにあるのです。かつての日本では、地鎮祭をして家を建て、長く守っていくために敷地の一部に神様や稲荷様を祀り、先祖代々の墓もすぐ近くにつくりました。そして、日常生活で良いことがあれば「ありがとう」と手をあわせ、悪い事をすれば「ごめんなさい」と手をあわせ、願いごとがあれば「お願いします」とまた手をあわせる。神仏がとても身近な存在で、人々の心の拠り所だったのですが、時代とともに神様が遠くなり、お墓はたまにお参りする場所となってしまいました。

ところが近年、郊外の霊園にあったお墓を、都心の寺に移す方が増えているのです。私どもに新しく墓地を希望される方からは、「遠方の墓参りが難しくなってきた」「ここは駅から近くてお参りしやすい」、「地方の親戚も東京なら来やすい」「霊園だと法要する場所がない」など、遠い墓に不便さを感じていたという声が多く聞かれます。

便利さを求めて都心にお墓がもどってきているのであれば、私たちもしっかり応えていかなければなりません。その点、祥雲寺は観光のためのお寺ではありませんから、重厚さや威厳を追いかけるのではなく、いかに敷居を低くできるか、そこに取り組むべき課題があります。「脚が不自由で本堂に上がれない」「足が痛くて座れない」「飛び石が歩きにくい」など、お寺にありがちな不便を徹底的に排除し、だれもが気軽に訪れ、何かを得てお帰りくださる、そんなお寺をめざしています。

これからの寺は檀家さんとの精神的な距離感を縮め、もっと身近な存在になっていくべきだと思います。若い方々にも気軽に来ていただきたい、できれば年配者の方といっしょに、ご家族でお参りにいらしていただきたい、それが本寺の理想です。24時間のお墓参りも、そうした発想から生まれたものでした。

街と人々の心に根をはって

墓所の裏手に大きなソーラーパネルを置き、夜のライトアップをはじめ、寺の消費電力の一部をまかなっています。このシステムを採用したきっかけは阪神大震災でした。大災害のときに都会の寺が果たす役割は何かと考え、第一次避難所としての備えが必要だと考えたのです。実際、東日本大震災の際には、近くのオフィスから多くの人が境内に避難してこられました。

そこで、お寺が停電してしまっては何もできないことがわかったのです。日中だけでもソーラー電気でごはんが炊ければ助かりますし、夜には塔婆や境内の木々が燃料になります。

関東大震災や東京大空襲の時も、この境内で多くの方が難を逃れたように、地域の災害リスクに対して何らかの役割を果たすこと。それも街とともに歩んでゆく寺の役割ではないかと考えています。